うむむむむ。さあて困ったぞ。おそるべき本が世に出てしまった。日本史研究者たちは
片っ端から査問にかけられ、見識と覚悟のほどが試されるのだ。

 中国史の泰斗たる宮崎市定は研究を進めるうちに、中国史とヨーロッパ史に共通の事
象を見出した。両方ともにまずは都市国家が発達し、それが統一されて古代帝国が成立
する。マケドニアとかローマとか、秦や漢である。ついで異民族の侵略が活発になって帝
国は崩壊し、分裂の時代がやってくる。時期は三世紀ごろで、ここに中世が始まる。おお、
これこそはユーラシア大陸全体の時間の流れに違いあるまい。

 著者の井上はここに鋭く突っ込む。英・仏・独は自国をヨーロッパの辺境と位置づけ、
国の歴史を中世史から語り起こす。それなのに何で、日本史だけはユーラシア史と並行
していない?十一世紀まで延々と「古代」が続く?よそはみんな、とっくのとおに「中世」
やで。日本史研究者の皆さん、あんたら最近、頻りに日本と東アジアの連関を重視する、
って言うてはるやろ?だったら益々、三世紀の邪馬台国から中世と捉えるべきですわ。
日本に古代なんてなかったんとちがいますか?もちっと真面目に勉強せなあきまへん。

 違和感は感じていた。頻繁に往き来する日本と唐。両者のあいだでは物品はもとより、
国家の骨格を成す律令すら移植された。それなのに日本が古代社会で、大陸は中世
社会。そんなアンバランスあるか?なるほど、日本に古代はないと想定すればいいんだ。
お、そうすると何ですか。妙に長幼の序に小うるさい古代史学界は大ダメージですか?
いひひひ。ああ、中世史研究者でよかったあ‥。だが安堵したのも束の間、さらなる鉄
槌が振り下ろされた。

 日本史に無理やり古代史をつくったのはだれか?戦前の原勝郎、戦中・戦後の石母
田正一派である。その共通項は何か?本質が東大で学んだ東国人たることである。彼
らは東国の武士が大好きで、その政権である鎌倉を称揚する一方、関西に憎悪を投げ
つける。内藤湖南以来の京都の都ぶりや文化や伝統を重視する学統を蔑ろにし、平安
朝を惰弱で腐敗した存在と決めつけた。

 そうして「古代」が設定される。武士の中世を美化するために。関東と鎌倉を輝かせ、
畿内と京都を貶めるために。戦後中世史の創成者と仰ぎ見られる石母田はいう「平安
京における大部分の人間は、歴史的に不要な人間の集団である」。何と傲慢な物言いか!

 なになに「かつての露骨な関東史観は、さすがに影をひそめている。だが、本郷和人
のように、はっきりその色合いをうちだす研究者も、あらわれている」えええ?ぼくも査問
会行きですか?たしかに私は東京で生まれ育ち、偶々東大に通った。でも自分が東京人
で東大学派の一員であると思ったことなどない。家は貧乏でルックスはイケてなく流行に
乗れず。東京のうまみと無縁であった。才能に乏しく、研究仲間に入れてもらえなかった。
東大の教員といっても准教授の窓際だし、唯物史観はうんざりだし、(ここ大事→)京都の
文物は小さい頃から大好きだし。しかし井上は言う。「気づいてほしいものだ。東京という
場所そのものが、権力の磁場であることを。自分たちがその権力とともにあることを。」

 さて歴史学界はどう出るか。おそらくは井上も予測している通り、格別な反応は示さな
いだろう。パンツの先生が何か言ってるけど、ま、門外漢は気楽でいいやね、と。ご存知
のように井上は、パンツとかラブホテルとかヌードとか、本人がいう「やや助平な仕事を
手がけ」て、きわめて高い評価を獲得している社会学者である。その方の渾身の言及
にすら真摯に向き合わない不遜が、今の日本史学界には残念ながら満ちている。日本
の歴史は誰のものか。古文書や史料を読みこなす研究者だけの専有物か。否、断じて
そうではあるまい。みなさんもこの本を読んで、ぜひとも日本史のあり方に思いを馳せ
てみて下さい。訓詁学しか能のない歴史屋はすっこんでろ!あ、ぼくもか。

文藝春秋 2008年7月号 この号に関しては、掲載分と差違があります。ご了承下さい。